設計監理の一般的フローや建築家(建築設計事務所)の仕事を紹介します。 |
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代表者自己紹介
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1999年にサイトを立ち上げたのは、作品の個性と人間性を知っていただくためでした。
2011年の現在もその点は変わりありません。
この地で生まれ育ち、名古屋の大学で建築を学び、(もっとも学んだ範囲は建築より広かったような気がします?)
大垣市内の設計事務所で学び、昭和59年に20代の後半なのに独立してしまい、それから26年を無我夢中、かつ、のんびり?と過ごし、自分の道を模索している間に中年の真っ只中。
大学時代の学祭の手相占いで言われた「あなたは大器晩成ですよ」のことばを今も信じつつ、自慢じゃないけど勉強大好き(本当か?)家族も大好き、建築も大好き、ついでに女房も大好き・・・
●生年月日 > 昭和29年(1954年)5月25日 ふたご座
●出身 > 生まれも育ちも岐阜県揖斐川町
●最終学歴 > 愛知工業大学 建築学科 環境工学・比嘉研究室
●関連資格 >一級建築士・インテリアプランナー・一級建築施工管理技師・二級建築士・
専攻建築士(設計)・住宅性能評価員
●所属団体 > (社)岐阜県建築士事務所協会・(社)岐阜県建築士会
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大学時代の中部地区大学建築学科生対象の設計コンペ「風景としての住まい」に応募し、中庭のあり方を提案し認めていただいて運良く入選、このことが設計に目が向くきっかけとなる。
卒業後、岐阜県大垣市内(株)高田設計にての7年間は、公共建物を中心に種々の建物の設計監理に参加させていただき、机上のプランを現実化する手法の基礎を学ぶ。
昭和59年に希望に胸を膨らませて無鉄砲に独立するが「設計・監理」を必要性の薄い、冷たい現実に直面、生来のノンキさで諦めず仕事確保に地味に焦らず奔走!、ところが実は暖かかった地元気質に感謝、感謝。
学生時代の夢、「身の丈に合った考え方で手の跡が残せる建物を創る夢」を果たすべく、そのロードマップを模索するうち多くの時間が流れ、やがてネット時代の到来。
ネット上に流れるコンペ情報を選択できる時代の到来に希望を持ち、純粋さを感じ応募した「川上さぷり・住宅デザインコンペ」に入賞する。
同時にネットの利用法にこそ「手創り建築家」の生きる手法が隠れているのを実体感する。
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生まれも育ちもこの地ですが、学生時代には名古屋が守備範囲でした。
街の外で暮らした経験は今の自分の街の良さを感じるのにたいへんプラスになっているようです。
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実は事務所には一級建築士が二人居まして一人はもちろん私、もう一人。
そして、特級建築士が一人、この方はどんな困難な申請書もお手のものの弁護士並みの説得力の持ち主、何をかくそううちの奥さん、このお方は無理難題を押し付けてくる建築主さんより恐い〜〜〜〜〜〜
それと非常時の社員(というより隠れた役員・営業部)が二人・・・・・私の長男と長女。
・・・・・・・・そして雑種の「ゆうくん」・・・・ワン |
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