建築の設計事務所に住宅の設計と監理を依頼することは贅沢なことだと思っていませんか。
ごく一般敵印象として、設計者を建築主の代理人として立てることは、設計監理の費用を余分に使いことになる、またデザイン性などの設計者の自己満足な考え方が入る、したがって結果として贅沢な建物を建てることになってしまうという・・・とされている方が意外と多いように思います。
特に設計者の利害の対岸におられる関係者が主張してやまないようです。
そういった方々はたぶん学生時代に種の講座をうけてみえなかったのかもしれません。
工事請負契約書ひとつとっても、
小生のような近視眼の方が眼鏡を無くすと不自由なように、建築を深く勉強したことがなければ、そのきめ細かな部分が見えてくるわけもなく、まして工事契約の中身が最初から委細に作られていなければ、たとえ契約書が存在しているからと安心していても、コップに穴が空いた状態で水をすくっているようなものです。
最初から小さな穴から水が漏れておれば浸みだしているのも気が付かないことになるからです。
すべての設計者がそうであるとはいえませんが、自身の自己満足のためとしても、そのきめ細かな図面と積算書を片手に現場に通っておれば、自ずとそれは施主自身がご自分の建物の善し悪しを測る物差しを手にしているのと同じなのです。
裏返すと物差しのない現場には贅沢をしているか否かもわかり得ないと言うことになります。
またお金がどれだけかかったから贅沢だという発想は、乱暴すぎるようにも思えてきます。
建築の積算では1m2についていくらとか、単位あたりの金額を「単価」と呼びますが、それと同様に、出来上がった建物の単位あたりの費用対効果としてどうかと評価すべきものとも言えます。
自身がどんな建物をどのように造ろうとしているかを知る物差しを持って建築に臨むことは、財産を確実に理解できうる状態で手にすることになります。
それはお金持ちの贅沢なんかではありませんし、むしろ最大限お金を生かす方法で、建築の設計事務所が工事監理の本当の意味を知っていただければ理解していただけると信じています。
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