タイトルには「数奇屋」「光」「甍」の語句が並んでいますが、
ご覧のごとく水平方向の線が落ち着きを演出している平屋で、屋根の瓦の厚みや質感と甍模様が、
意外なほど高い軒高を感じさせない風貌です。
ある友人は「平安朝」だとか、「瓦屋根の杉原」だとか茶化してくれますが、
「誘われる平屋」同様その大らかさが気に入っています。
建築主さんが、私の提案を寛大にキャッチしていただいたお陰で、
その大らかさが内部の隅々にも表れています。
「あたたか数奇屋」と共に、力づくのアクティブな省エネではなく、
静的な工夫によるパッシブエネルギーの利用により実現しました。
いきなり具体的ですが、電気代は改築後は、1/2以下になりました
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数奇屋といっても、そんなに高価な仕上は少ないのです。
ただただ、ひたすらに、造形の工夫で獲得した呼称です、
気負うことなく押し付けがましいデザインには創りたくないものです。
外壁西面が意外と建物の顔の役割を担っていますので格子をあしらいましたが、
実は空調屋外機の設置スペースです。
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数奇屋という言葉を使わせていただくのに恥じない程度に、また性能として一定の断熱性、
気密性を確保できるように、現代の生んだ高性能部材を違和感無く組み込んで
ゆくことを心がけています。
内装の土壁も輝かんばかりの光物的素材は採用しません。
土や木などの、素材そのものの風合いが生きるように仕上げて、控えめな印象を
引き出そうとしています。
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和室を囲みまわり込む板の間を見ていると、なぜか親戚の面々を
思い出してしまうのは私だけだろうか。
良きにつけ、悪しきにつけ、親族が集まって、祖先の思い出話に花が咲く時間を過ごすのは、
何故かしら心休まるものです。
それぞれの部屋の空間としての価値を、一歩踏み込んで理解しながら、
家づくりというものを考える余裕がもてると楽しくなるのかもしれない。
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タタミの部屋は、現代では普段の生活における出番の少ない場所です。
ハレとケという分け方で表現すると、やはりハレの場面用の空間としての価値をもっています。
今風の言葉ではセレモニー、昔風には儀式の場であった空間が、
自分の家の中に用意されているのです。
これをことごとく無駄なスペースと一蹴する考え方が多いが、
必ずしも正しいとは言えないと考えてしまうのは、年齢のせいででしょうか。
人生の区切りとなる出来事(セレモニー)を我が家で経験した子供は、やがて親となったときに、
「得をした」感覚を味わう気がする。
全然普通の和室にしか見えないかもしれませんが、この床下には90センチの
断熱空間が広がっています。
木工事が佳境に入った夏の暑い日には、大工さんが床下でお昼寝をしたという
エピソードがあるほどです。
基礎断熱により一種の地下室が出来てしまい、外気より低温の空間が実現しました。
もちろん、この家の性能の一部として利用しております。
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画像をご覧になればお判りのように、直線的でシンプルを旨としています。
それは広さと使いやすさ、ユニバーサルデザインを獲得するには、近道となるからです。
間口の広い敷地と平屋は良く似合います。
家の真中の、それもトイレと浴室の真正面におばあちゃんの部屋が取れてしまうのです。
ただ、この広い廊下をワンチャンが疾走しているのを建築主さんからお聞きすると、
ちょっと冷や汗を流し、
苦笑するしかない?!
また、この広い廊下をご高齢のおばあちゃんが歩行補助用の乳母車を押しながら
歩いておられるとも聞いている。
そんな絵を思い描くと微笑ましくもあり、誇らしくもあり・・・・
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光と風の活躍は、水平方向のみではなく、垂直方向の空間の広がりを確保することにより実現できる。
高い位置からの風の吹き降ろしや、高窓の煙突効果と明るい昼光の射し込みは、
省エネの強い味方となります。
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日常的に足をたたむスペースを用意することは、日本人にとって、寛ぎを獲得することのようだ。
歴史的には、狩猟民族の時代が何万年も続いたようであるが、
まったくの弥生系の顔立ちの私にとっては、農耕民族よろしく座る生活は大賛成である。
タタミのい草はなくなってきても、その感触を再現すべく、
それに代わる材料を生み出すメーカーさんの技術には、いじましささえ感じる。
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部屋の中には極力邪魔物は取り付けない、
固定しないという考え方を周到することが高齢化社会への対応策ではなかろうか。
人間も部屋も長寿で健康に過ごせるようにしたいものである
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